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物差し二本
2009-01-12-Mon  CATEGORY: 小野楽園
成人の日ですね、小野です。おはようございます。(もう夜だよ!)
先月末、コミケの少し前でしょうか、さくらテイルが発表になりました。
マジっすか。
え、もうそんな時期? と言えばまあそうなんですが、え、もう新年? と言えばやはりそうなんですが、え、さっき成人の日って書いたような? ってことは2009年の24分の1がもう終わりそうってことじゃないですか。勘弁してください。
どうりで祝日に会社に来てベリックス錠飲んでいるわけです。ぴぎぃ。
作業は遅々として進みません……。(言うなよ)
取っ組み合いを早く終わらせておいしいごはんを食べに行きたいものですが、いつになるんでしょうか……。(ぼやくなよ)
FableⅡでモテモテ人生になりたいです……。(唐突にどうした)

そういえば桐野夏生さんの「光源」という小説を読んでいます。
桐野さんは近年お気に入り作家さんの一人なんですが、なにぶん著作の多い人なので、後追いのファンとしては読んでも読んでもまだ全然読む本があるよという嬉しい悲鳴をあげていたりします。
「光源」は映画の制作現場を題材とした小説です。映画もゲーム同様、複数人によって一つの作品を作り上げていくジャンルですので、集団作業特有の問題の多くを同じくしており、共感させられる記述がたくさん出てきます。動きの激しいシーンのみならず、合間を埋めるシーンについてもいちいち頷かされながら読んでいます。
例えば、映画の発起人である監督と、周囲のスタッフとの濃度の違いについて書かれた場面。監督が一人自室で物思いに耽る静かな場面です。
ここで監督は「震えが起きるくらいにこの映画のことを考えているのは自分だけ」である状況に気づきます。また「自分の濃度が一番濃い」こと、「周囲との濃度のありように差がある」ことを頼りなく思います。挙句、「自分で自分の濃度に酔って気分を悪く」しさえします。
この「濃度」というのは、創作対象となる虚構への没入度のことですね。映画にどれだけ深くいれ込んでいるか。制作中の映画をどれだけ愛しているか。
要するに創作への情熱の違いです。スタッフが映画に対して持っている熱意と、監督の熱意とに温度差があるわけです。
無論、スタッフに情熱がないわけではないのですが、監督のそれは妄執と言ってもいいものなので差が生まれてしまっているのですね。ただ仕事をこなしているだけの人間と、自分を表現しようと我執を剥き出しにしている人間の差。

ゲームの開発でもこうしたズレはよく生じます。集団での制作というのは、常に司令塔になる人間と手足になる人間で成り立っています。司令塔の号令に合わせて「いちに、いちに」と皆で歩くのがプロジェクトです。どこかに問題が生じればその歩みはバランスを崩します。スタッフは一枚岩でなくてはなりません。
エロゲの場合、核となる部分の作業人数は非常にコンパクトであるため、大人数の思惑が入り乱れる映画よりも意志の統一は容易いと思います。しかしそれゆえに少しのズレが致命傷となるという特徴もあります。映画よりも個人の仕事がそのまま作品世界とリンクする比重が高く、一人一人のスタッフが掲示するものが直にゲームのディティールとなるからです。
けれど良いゲームを作ることというのは、こうしたスタッフ間のズレを認識することからはじまるようにも思います。
ゲームが良い作品となるためにはプロジェクトの核となる人物が高い濃度を持っている必要があります。これは絶対の条件です。薄っぺらな情熱によって築き上げられたものに満足するほどユーザーは安くはありません。
しかし、中心人物の濃度が高ければ高いほど、周りのスタッフとのギャップを埋めることが難しくなります。濃度にズレが生じやすくなるのです。
そのジレンマへの解答は個人の相性が、あるいは制作の状況が、環境が、掲示することもあります。が、大抵の場合ズレは努力によってしか埋まりません。
つまり、頭脳になる人間に必要な素養というのは、高い濃度を持つことだけではないのですね。濃度を周囲に伝播させる才能、周りに自分のビジョンを伝えるコミュニケーションの技術と、そこに手間を惜しまないマメさが問われるのです。
中心となる人物は「発生源」で、手足となるスタッフは「フィルター」です。
10の濃度を持つ人物と、7の濃度を持つ人物がいたとしたら、この時点では前者の方が濃さにおいて優れていますが、スタッフ間のズレが激しすぎて(=フィルターとして作用する率が高くて)実際にユーザーに届くものが3でしかなかったら意味は無いですね。もし後者の人物に、しっかり濃度を他者へ伝播させる能力がある場合は、こちらの方がよほど良いということになってしまいます。

言葉にしてしまうと、結構当たり前のことかと思います。別にゲームだけじゃなく、あらゆるものについて言える、人間関係の話。
ですがエロゲーの場合、司令塔となるべき人間(プランナー)がシナリオなど、別の仕事を兼任することが多いので、もう少し突っ込んだ問題もあったりします。
ライターの多くはライティングが佳境になればなるほど、どんどん作品世界に没入していきます。もっと深く、もっと深く、それだけを思って潜っていくようになります。でないと書けません。
それゆえに執筆中は他の全てがわずらわしくなります。周りの面倒まで見てられないよ、自分のことだけさせていてくれ、と言いたくなるようになります。
つまり、自分の濃度を上げることに腐心し、しかも、周囲に濃度を広める努力を怠りがちになるのです。二重にズレを生じやすくなっている状況です。大体が、プロジェクト中盤~後半の、開発室の空気がギスギスしてくる頃です。いつの間にか、しょうもない喧嘩が起きたりしますね。あーもー、静かに書かせてくれよー、なんてことになります。もっと運が悪いと、空中分解。
けれどそれを乗り越え、全員が高い濃度の中でゲーム制作を終えることができた時、得られるものはとても大きいよう思います。
ゲームの制作はあまりお金になりません。(ヒット作が出れば別ですが、それはどの業種も同じことですね)従って、金銭とは別の場所での充実度を常に必要としています。その多くは「満足のいく仕事ができた」という気持ちでしょう。

「さくらテイル」が、スタッフ一同、満足のいく仕事になるように頑張りますよ。
ええ。
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